土浦一中地区、昭和の残像・・・

1970年男の備忘録です。

No.15子供会~2

夏の子供会で見た交通安全教育のフィル

ムについて少し深掘りを(No.8参照)。

 

免許更新のときに見るような今風のもの

とは違い、白黒だかセピア色だかの古い

8ミリフィルムだった。

 

あの当時ですら古いフィルムだな~と思

った。おそらく1960~70年代、交通戦争

と言われた頃の作品だったのだろう。

 

中身はドキュメンタリーで実際の事故現

場や人形実験、事故で亡くなった女の子

の葬式風景などが写っていた。

 

いまの子供たちに見せたらトラウマに

なるかも・・・。

 

あのおかっぱの女の子の遺影はまだ頭に

残っている。

この歳まで事故を起こさず、また事故に

遭わずに来れたのは、このフィルムで

事故の悲惨さを知ったからかも。

 

子供会に感謝およびあらためて女の子に

合掌・・・・

 

 

 

 

No.14本屋さん思い出~3

前回に続き白石書店の思い出。

よく世間で言われる本屋に行くとトイレ

に行きたくなる説。ここはその説がよく

あたり、必ずトイレを拝借していた。

小便器に黄色や緑のカラーボールが

入ってたがなんとなく覚えている。

 

隔週水曜発売のFMステーションはよく

買ったな~。他にも毎週木曜発売の

週刊プロレス、たまに中学○年生みたい

な学習雑誌など。

いまはネットで無料でいろんな情報が

手に入るけど、昔は本は貴重なソース

というか娯楽だった。

 

たまに古本屋で昔の70年代のコミックや

雑誌を見ると懐かし~と思って手には

取るけど、買うまでには至らない自分が

いる。

 

手に入れるよりも思い出は思い出

のまま、と無意識に思うのかね。

そういえば最近物欲もないな~。

 

本に心ときめいたあの頃が

なつかしい。

 

 

No.13本屋さんの思い出~2

いちばんお世話になったのは白石書店

今は廃墟。

楽器店とヤマハ音楽教室も同居していた。

二階にコミックコーナーがあり、当時は

立ち読み・座り読みし放題で、子供の

巣窟だった。

店員のおじさんがよく子供を追い出しに

来たっけ。

自分が二十代のころまでは営業していた

気がする。

店員さんで素敵な女性のお姉さんが

いて、その方のレジがあたると一人

喜んでいた。

ただその方がいるときはいやらしい

本は買えなかった・・・

 

この書店も思い出が多い場所なので

また書いてみたい。

 

No.12本屋さんの思い出~1

となり町に「ちょうふく」というスー

パーがあった。ほそい道路に面した小さ

なスーパーだった。今はない。

 

小学生に上がるか上がらないかくらいの

とき「ちょうふく」前に本屋さんがあっ

た(当然これも今はない)。

本屋といっても昔の乾物屋のようなつく

りで、土間に木の板が並べてあって

そこに雑誌などが無造作に並んでいた。

 

店は和服を来た老姉妹が営んでいた。

 

エロ本ばかりのいかがわしい感じでも

なく、父親と行くとテレビランド等を

買ってもらった記憶がある。

 

父はよく週刊新潮を買っていたなあ。

 

じぶんがまだ子供の頃ってあばあさん

は和服の方が多かったな~。

 

もうあの老姉妹もとうに鬼籍にはいっ

ているのでしょうね。

 

いまでもあの店の木の匂いというか、

昔の家の雰囲気というか、薄暗さとい

うか、五感にわずかに残っているもの

がある。

ご子孫に幸ありますように・・・

 

 

 

 

 

No.11真鍋保育園~2

園長先生は貫禄あるおばあさんだった。

当時の写真をみる限り、70歳台と思わ

れる。昭和50年当時で70歳台というこ

とは明治のお生まれ・・・。

 

日露、第一次、第二次の大戦をリアルタ

イムで生き抜いた、なんともたくましい

明治女のご尊顔・・・。

 

あるとき友達と遊具に泥を塗りつけて

遊んでいたら園長から直接怒られ、園長

室に連れられ、「そんなことする子は

縄で手を縛っちまうぞ!」と言われ、

ちびりそうになった(というか多分ちび

った)。

 

この園長のお顔にくらべると最近のおば

あさんは柔和な顔しているな、と思いま

す。

 

いつか天国?でお会いできたら、私も

なんとか人生をまっとうできました!と

ご報告したい。そしてまた叱られたい。

 

 

 

 

No.10真鍋保育園

9月20日からコロナに罹患してしまい

しばらく体調が戻らず、久々の書き込み

です。

私が通っていた真鍋保育園。

すでに閉園となり、空き地になっている。

今からはるか50年前、幼い私はそこに

いた。

母に自転車に乗せられ、毎朝通った。

お弁当持ちで、園から一品くらい

おかずがふるまわれた。

覚えているのは缶詰のホワイトアスパラ

が出ることがあり、あれは苦手だった。

あと帰りがけに肝油2粒くらいもらった

記憶あり。

 

保育園の思い出は一回では書ききれず、

また書いていきます。

 

 

No.9弓道部

No.8に書いた管理棟の前に弓道場があっ

た。自分は中学時代弓道部に入っていた

ので、放課後ここに通った。

弓道場と言っても、戦前からあるような

木造のボロ道場。戦中は竹槍の訓練とか

していたのだろうか。

 

行くと一般のじいちゃんズが、雑談→

煎餅→タバコ→茶→弓→タバコ→雑談→

中坊への助言→帰宅といった感じのまろ

やかな時を過ごしていた。

 

灰皿はいつも吸殻のヤマ。

顧問の先生も平気で吸っていたけど、今

では大問題になるね。

 

そんなじいちゃんズからたまに柿だの

よくわからない果物(バタンキョとか

言っていたような・・・)をもらったり

したな。バタンキョって何だ?

 

練習の合間で男女、学年関係なくおしゃ

べりした時間は「THE青春」でした。

 

最後に砂をならして、的を補修し、雨戸

しめ、国旗にお辞儀し、さあ帰ろう!

 

あ、今日はFMステーションの発売日だ。

N君、白石書店つきあってよ❗️